罪人には神がわかりません

2026.4.24 罪人には神が分かりません
これは感情の問題ではありません。理解力の問題でもありません。説明不足の問題でもありません。
罪人は、神に対して死んでいるからです。
聖書は言っています。
「あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり」エペソ2章1節
死んでいる者は、神を知ることができません。神を恐れることもできません。神に従うこともできません。罪を罪として認めることもできません。
第一コリント2章14節もこう言っています。
「生まれながらの人は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができません。御霊によって判断されるものだからです。」
罪人には、神のことが分かりません。
聖書の言葉を聞くことはできます。説教を聞くこともできます。教会にいることもできます。神の名を口にすることもできます。
しかし、神ご自身を知ることはできません。
神の聖さが分かりません。罪の重さが分かりません。キリストの血の尊さが分かりません。恵みの御霊を侮る恐ろしさが分かりません。神の裁きの重さが分かりません。
だから、罪人は真理を聞いても罪にとどまります。
嘘をやめません。罪を隠します。言い訳をします。自分を正当化します。神の警告を軽く扱います。
しかし、罪人が分からないことは免罪になりません。
分からないから赦されるのではありません。分からないから罪が軽くなるのではありません。分からないから裁きがなくなるのではありません。
聖書はこう言っています。
「もし私たちが、真理の知識を受けた後、進んで罪にとどまり続けるなら、もはや罪のきよめのためにはいけにえは残されておらず、ただ、さばきと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火を、恐れながら待つしかありません。」ヘブル10章26–27節
真理の知識を受けても、神を知らない者は罪にとどまります。
その状態は、単なる弱さではありません。神への反逆です。
神の御子を踏みつけることです。契約の血を汚れたものとすることです。恵みの御霊を侮ることです。
ヘブル10章29節はこう言っています。
「神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものと見なし、恵みの御霊を侮る者は、いかに重い処罰に値するかが分かるでしょう。」
罪人には、自分が何をしているのか分かりません。
しかし、神は知っておられます。
神は罪を見ておられます。神は偽りを見ておられます。神は自己正当化を見ておられます。神は御子の血を軽んじる態度を見ておられます。
そして神は裁かれます。
「復讐はわたしのもの、わたしが報復する。」「主は御民をさばかれる。」ヘブル10章30節
裁きは人の感情ではありません。裁きは神の権利です。
神が裁かれます。神が報復されます。神が罪を暴かれます。神が逃げ場を閉ざされます。
罪人が理解するかどうかは関係ありません。罪人が納得するかどうかも関係ありません。罪人が恐れるかどうかも関係ありません。
神が裁かれるからです。
聖書は最後にこう言っています。
「生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。」ヘブル10章31節
罪人には、この恐ろしさも分かりません。
それでも裁きは来ます。
人の言葉で罪人は変わりません。説明で罪人は変わりません。説得で罪人は変わりません。恐怖を与えても罪人は変わりません。
罪人を変えるのは神だけです。
神が再生させられなければ、罪人は神を知りません。神が目を開かれなければ、罪人は真理を見ません。神が心を砕かれなければ、罪人は罪を認めません。神が悔い改めを与えられなければ、罪人は罪を捨てません。
救いは神から出ます。悔い改めは神から与えられます。信仰は神の賜物です。神を知ることは、神の恵みによります。
罪人には神が分かりません。
だから、罪人の理解に合わせて真理を下げてはなりません。罪人の反応を見て語り方を変えてはなりません。罪人が分からないことを理由に、神の裁きを弱めてはなりません。
神は侮られません。神は罪を裁かれます。神は御子を踏みつける者を見過ごされません。
生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。
以上