罪との葛藤
―「変わりたい」と言うだけで終わらないために―

2026.8.28 罪との葛藤
―「変わりたい」と言うだけで終わらないために―
「まだ、周りに任せようとしている。自分から動かない。逃げている。神さま、もうこんな行動いやだ。変わりたい。変えてください。自分で率先して責任を持って行動できるように導いてください。ちゃんと自分で考え、行動し、確認し、修正し、責任を取る。」
今日は、この言葉から「罪との葛藤」について考えます。人は、自分の悪いところが分かっていても、なかなか変わることができません。「もう怒りたくない」「もう嘘をつきたくない」「人のせいにしたくない」「言われる前にやりたい」「逃げたくない」そう思っているのに、また同じことをしてしまう。
聖書は、このような私たちの姿を隠しません。
「私は、自分がしていることが分かりません。自分がしたいと願うことを行わないで、かえって憎んでいることをしているからです。」
ローマ7章15節
これは、罪との葛藤です。悪いことを悪いと思わなくなったのではありません。悪いと分かっている。やめたいとも思っている。それなのに、自分の中にある罪が、また同じ方向へ引っ張っていく。だから、「こんな自分は嫌だ」「変わりたい」と思うこと自体は大切です。でも、ここで終わってはいけません。
「変えてください」だけでは終わらない
「神さま、変えてください。」これは大切な祈りです。
でも、「神さまが変えてくれるまで、自分は何もしません」という意味ではありません。
やらなければならないことが分かっているのに、「神さま、ちゃんとできるようにしてください」と祈りながら、いつまでも動かなかったらどうでしょう。それは、祈っているようで、従うことから逃げていることがあります。
「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」
ピリピ2章13節
神さまが働いてくださる。だからこそ、私たちは従います。
神さまが働いてくださることと、私たちが行動することは反対ではありません。
神さまが私たちのうちに働いてくださるから、私たちは従って動くのです。
罪は、責任から逃げる方向へ私たちを引っ張る
罪は、いろいろな言葉で私たちを誘惑します。
「誰かがやってくれるよ。」「あとでやればいい。」「言われてからやればいい。」「失敗したら人のせいにすればいい。」「怒られたら謝ればいい。」
こうして、自分で考えない。自分から動かない。責任を取らない。という方向へ私たちを引っ張ります。でも御霊は、私たちを逃げる方向ではなく、キリストにあって神に従う方向へ導かれます。
「肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らう」
ガラテヤ5章17節
私たちの中には、この戦いがあります。だから罪との葛藤とは、「悪い自分が嫌だなあ」と思うだけではありません。罪に従うのか、それとも御霊に従うのか。ここに本当の戦いがあります。
本当の悔い改めには方向転換がある
「ごめんなさい。」それだけなら、言葉だけで終わることがあります。本当の悔い改めには、向きを変えることがあります。人に任せていたなら、自分から動く。逃げていたなら、逃げずに向き合う。失敗したなら、言い訳せずに修正する。やったつもりで終わらず、最後まで確認する。逃げずに、自分のしたことに責任を持つ。だから、
考える → 行動する → 確認する → 修正する → 責任を取る
これは単なる仕事のやり方ではありません。
毎日の生活の中で、罪から離れ、神に従っていく一つの姿でもあります。
でも、自分の力だけではできない
ここで大切なことがあります。「じゃあ、もっと頑張ればいいんだ」という話ではありません。
罪との戦いを自分の力だけで戦えば、また同じところへ戻ります。
イエ スさまは、
「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができない」
ヨハネ15章5節
と言われました。だから私たちは、「自分で何とか立派な人間になろう」とするのではありません。キリストに結ばれ、御霊に助けられながら、今日与えられている一つのことに従います。
「いつか変わります」ではなく「今日従います」
罪はよく、「明日から」と言います。しかし神さまに従うのは今日です。「もっと責任を持てる人間になったら動きます」ではありません。今できる一つのことに従う。「自分からやる。」「最後まで確認する。」「失敗したら自分で直す。」「人のせいにしない。」こういう小さな一歩の中に、罪との戦いがあります。
最後に
「神さま、変えてください。」その祈りは大切です。でも、その祈りのあとに、「だから今、従います」が続かなければなりません。罪との葛藤とは、変わりたいと言うことではなく、罪に引っ張られながらも、キリストにより頼み、御霊によって実際に神に従っていく戦いです。失敗することもあります。それでも、罪を正当化しません。逃げることを正当化しません。キリストを最後の望みとし、自分を守ってくださる方としてより頼み、自分で考える。自分から行動する。確認する。間違っていたら修正する。そして責任を取る。
「主よ、今日、あなたに従わせてください。そして今、従います。」これが、御霊によって歩むということです。
今、従う。すぐ従う。絶対に従う。