神の怒り

2026.4.10 怒れる神の手の中の罪人
今日は、やさしい話はしません。
聞きやすい話もしません。
本当のことを言います。
あなたは、自分がまだ安全だと思っているかもしれません。
若いから大丈夫。
まだこれからだから大丈夫。
そんなに悪いことをしていないから大丈夫。
教会に来ているから大丈夫。
そう思っているかもしれません。
しかし、それは思い違いです。
あなたは、自分で安全な場所に立っているのではありません。
今もただ、神がまだ滅ぼしておられないというだけです。
それだけです。
あなたが今、息をしているのも、
心臓が動いているのも、
明日があると思っているのも、
全部、神が今すぐには取り去っておられないからです。
でも、それを見て、
「自分は大丈夫だ」
と思うなら、それは恐ろしい思い違いです。
聖書は言います。
「彼らの足は定めの時によろける。」
これは、今は立っているつもりでも、神がその時を定められたら、すぐに崩れ落ちます、ということです。
あなたの足元は、本当は安全ではありません。
固い地面の上にいるつもりでも違います。
落ちないのではありません。
まだ落とされていないだけです。
神は聖い方です。
あなたが考えるより、はるかに聖い方です。
あなたが思っているように、
「これくらいならいい」
で済ませる方ではありません。
あなたは、人の前ではごまかせます。
親の前でも、先生の前でも、友だちの前でも、
ある程度よく見せることができます。
でも、神の前では無理です。
神はあなたの外側だけでなく、心の中を見ておられます。
口に出していないことも、全部見ておられます。
人を見下した心も、
汚れた思いも、
ねたみも、
うそも、
反抗も、
神なんていらないという心も、
全部、神の前にむき出しです。
隠れていません。
ごまかせていません。
忘れられてもいません。
そして、その罪に対して、神は怒っておられます。
ここを、今の人間は嫌います。
神は愛だ、神はやさしい、神は受け入れてくださる、
そういうことだけ聞きたがります。
でも、それは半分だけ聞きたい人間のわがままです。
神は愛です。
しかし、神は聖い方です。
神は罪を憎まれます。
神は悪を見て笑っておられる方ではありません。
神は永遠に罪をそのままにはされません。
あなたが今も裁かれていないからといって、
神が罪を見逃したのではありません。
神の怒りが消えたのでもありません。
ただ、神がまだその時を延ばしておられるだけです。
それなのに、人はその忍耐を軽く見ます。
今日も何も起きなかった。
明日も同じだろう。
まだ平気だろう。
そうやって、神の忍耐を、自分の安全の証拠にしてしまいます。
しかし、それは愚かで す。
あなたは、自分の次の一秒さえ持っていません。
自分で自分の命を保っていません。
眠っているあいだも、神が支えておられるから生きているのです。
その神が、
「もう十分だ」
と言われたら、それで終わりです。
その時、あなたはどうするのですか。
神の前に何を出すのですか。
少しは真面目でした、と言うのですか。
教会に来ていました、と言うのですか。
バプテスマを受けました、と言うのですか。
人よりはましでした、と言うのですか。
そんなものは、神の怒りの前で一つも役に立ちません。
なぜなら、問題は表面ではないからです。
問題は、あなたの心そのものだからです。
あなたは罪人です。
神の前に、自分で立てる人間ではありません。
罪とは、ただルール違反を何個かすることではありません。
罪とは、神に逆らっていることです。
神が生かしておられるのに、神なしで生きようとす ることです。
神のものなのに、自分の人生は自分のものだと思うことです。
神を恐れず、自分を中心にしていることです。
それがどれほど恐ろしいか。
相手はただの人間ではありません。
天地を造られた神です。
あなたの息を握っておられる神です。
その神に向かって、人は毎日逆らっているのです。
そのままで安全だと思うのですか。
そのままで明日も当然あると思うのですか。
そのままで神の前に立てると思うのですか。
立てません。
神の怒りは本物です。
裁きは本物です。
地獄は作り話ではありません。
罪の報いは死です。
そして、人は自分でそこから抜け出せません。
これを聞いて、
「こわい」
と思うなら、その恐れは正しいです。
むしろ、何も恐れないなら、あなたの心は鈍くなっています。
神を恐れないのは危 険です。
罪を軽く見るのは危険です。
若いからまだ先でいい、と思うのは危険です。
あとで考える、は危険です。
その「あとで」が来る保証はどこにもありません。
では、望みはどこにあるのか。
自分の中にはありません。
努力の中にもありません。
宗教の形の中にもありません。
教会員であることの中にもありません。
望みは、ただ一つ。
イエス・キリストだけです。
神は、罪人を救うために御子を遣わされました。
キリストは十字架で死なれました。
なぜですか。
神の怒りが本物だからです。
罪の裁きが本物だからです。
それを、キリストがご自分の民の代わりに負われたからです。
だから、救いは、少し良くなったらもらえるものではありません。
救いは、宗教の課程を終えたら得られるものではありません。
救いは、キリストに逃げることです。
自分には何もない。
自分では立てない。
自分は神の前に有罪だ。
そのことを認めて、キリストによりすがるのです。
聞いてください。
あなたが今も生きているのは、
まだ神が悔い改めの時を与えておられるからです。
しかし、その戸は永遠には開いていません。
いつまでも先延ばしできると思うなら、それは危険です。
だから、今日、神を恐れなさい。
今日、自分への信頼 を捨てなさい。
今日、罪を軽く見るのをやめなさい。
今日、キリストに逃れなさい。
明日ではありません。
今日です。
あなたは安全ではありません。
神が支えておられるから、まだ落ちていないだけです。
しかし、その神は聖い方であり、罪を裁かれる方です。
だから、震えなさい。
神を軽く見るのをやめなさい。
そして、キリストに逃れなさい。
神の怒りは本物です。
罪の裁きは本物です。
人の望みは自分の中にはありません。
キリストだけが、罪人の唯一の逃れ場です。
以上です。