どこに逃げるの?

2025.10.7 どこに逃げるの?
まず、賛美しよう♬「神の国と神の義」
先週は、逃げろ!を神様から教えてもらったけど、今日は、じゃあどこに?っていうのを一緒に神様から教えてもらおう!
陽子ちゃんは、怒りを爆発させることが多いです。子どもには怒っちゃダメっていうのに、すぐに怒り狂っちゃう。「お兄ちゃんのパソコン壊してやる〜!!!」
そんな時に、陽子ちゃんは、ダメダメ、聖書では、赦しなさいって書いてある。この怒りに、赦しなさい言ってみことばを唱えて唱えて唱えて・・・・、怒りに蓋できたかな?
これってもはや、みことばは、RPGでいう、敵を倒すための呪文、道具。絶対に違うよね。
こんな陽子ちゃんはどうやって変わったんだろう?
じゃあ今度は「逃げなさい。」を「自分の力で」「逃げなさいって言ってるから、逃げます逃げます!!怒り捨てます、怒りよされー」こんなふうにして、どっかに逃げたんだろうか?
逃げる先ってどこ?どうやって逃げるの?
神様は、逃げなさい。私のもとに来なさいって言っています。逃げる先は、さっきの賛美にあった、「神の国」と「神の義」です。
神の国は、イエスさまの支配(全ては、イエスさまが支配しています。イエスさまが許さなかったら、髪の毛の一本も落ちません。)だから、今陽子ちゃんが怒る原因になっていることも、神様が全然知らないところで突然起こっているのではないです。
神の義 イエスさまの正しさ 間違いなく完璧で、十字架の御業を通して私たちもイエスさまの正しさが与えられてます。それは、十字架の贖い、十字架でイエスさまが怒りをすべて受けてくださったからです。私たちは、神様から見て、完全に正しい!!
陽子ちゃんは、〇〇しちゃだめ、怒っちゃだめを破っているけど、神様から見たら、完全に正しいんです。
だから逃げるって、こう祈ることです。
「神さま、わたしにはできません。どうかわたしを神様が全部を支配されている中で、かくまってください。」「怒りの中に居続けるのではなく、神様の支配されている中で、かくまって下さい」
神様は、絶対にみんなを見捨てません。みんなは心の中で、優しく力強い声「こっちに逃げておいで」という声を必ず聞いて、神様のところへ逃げることができます。一人で逃げるんじゃなくて、神様がずうっと一緒にいてくれます。
逃げるって、神様に隠れるってことです。
詩篇91編には、
いと高きかたの隠れ場に住むものは、全能者の陰に宿る。
という詩があって、これは、神様の中に隠れる、かくれんぼしているっていうことだよ。
そして、賛美をして、思い出そう。
ゲームをしたいなあ、という誘惑が来た時に、いちばん大切なのは「思い出す」ことです。
賛美しましょう。 ♬ 神の国と神の義をまず求めなさい
この賛美を歌いながらいつも思い出しましょう。賛美に神様はいらっしゃいます。
•神さまが本当にすべてを支配しておられること。
•イエスさまとあなたは一つに結びつけられていること。
•その結びつき は永遠に切れないこと。
まとめ
法律で禁止されていることは、やってはいけません。法律を破ったらそれは犯罪で、逮捕されます。そんなのは当たり前でしょ。
実は、聖書が言っていることは、法律よりも厳しいのです。心の中で人を殺したいと思ったら、それはもう殺人と一緒だとイエス様は言います。だから、それをしないように、神様に認められようとして、一生懸命努力しようとして守ろうとして頑張ることは間違っています。
パウロと言う使徒は断言します。「つかむな、味わうな、さわるな」(ゲームをするな、ゲームを味わうな、携帯に触るな)という命令は何の価値もなくて、悪い心を満足させるだけだから、思っちゃだめ。
神様は、「逃げなさい。」と言います。どこへ?上にあるもの、キリストの御座、神の支配です。
"もしあなたがたがキリス トとともに死んで、この世のもろもろの霊から離れたのなら、どうして、まだこの世に生きているかのように、「つかむな、味わうな、さわるな」といった定めに縛られるのですか。これらはすべて、使ったら消滅するものについての定めで、人間の戒めや教えによるものです。これらの定めは、人間の好き勝手な礼拝、自己卑下、肉体の苦行のゆえに知恵のあることのように見えますが、何の価値もなく、肉を満足させるだけです。"
コロサイ人への手紙 2章20~23節
"こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。
コロサイ人への手紙 3章1~3節
これが、あなたの「逃げる場所」です。走って逃げるとは、キリストが本当のすべてのものを支配しており、そのキリストとあなたが結合していることを思い出すこと。
賛美、祈りとは、その支配と結合の中に心の焦点を戻す、神に信頼する行為です。
あなたが、ゲームをやりたいと思ったときに、「やりたいやりたいやりたい」という思いに自分で入っていってはだめです。イエス様は、そう言っています。
逃げるというのは、立ち止まって戻ってくるということです。「あの人嫌い」と思ったら、そこに入っていってはだめです。止まってその考えを捨てなくてはだめです。
捨てるときに、捨て方があると言ってます。
それは、その時に「イエス様があなたを選んで、守ってくださっている。その神様はすべてのものを支配していて、わたしには全く敵がいない」、ここに自分の思いを持っていくことです。そうすれば、神様が近づいてくれます。そして、あなたが悪い考えに行かないように守ってくれます。
携帯でゲームやりたいという思いを持っているけれど、その考えをやめて、「神様、僕はあなたを信じます。」といって、自分の心を神様に持っていきます。それは、心の中で想像することです。あなたは神様と結合し て、神様はすべてのものを支配されていて、あなたはその中にいます。昔の人は、そのことを神様に隠れるといいました。
具体的には、ゲームをやりたいと思った時に、神様の思いがあなたに働いて、「そっちはだめだよ、そっちに行ったらだめだよ。」というのがあなたの心の奥底に聞こえてきます。それは感覚みたいなもので来ます。
そのときに、「ああそうなんだ」と従うのです。「やっぱり駄目なんだ」と。
ある人を憎んでいるときに、「憎んじゃ駄目だ」という声が聞こえます。「憎みたくない、憎んではいけないよ」という時に従うのです。
ゲームしたいという思いをいったんおいて、そして、すぐにかみさまのところに心をもっていきます。
その声は、聖霊の声です。その声に従います。聖書にはそう書いてあります。だから、みんな、その声をきいたら、不平、文句をいわずに、素直にさっと従って、神様のほうに逃げて行って。それがあなたが罪に勝つ秘訣だよ。
祈り
主よ、あなたは天地を造られた方。
私の人生のすべてを支配しておられます。
良いことも悪いことも、涙も喜びも、
あなたの愛のご計画の中にあります。
私は偶然に生きるのではなく、
あなたの御手の中に生かされています。
イエスさま、あなたと私は永遠に結びつけられています。
その愛から離れることは決してありません。
それゆえ、パウロはこう宣言します。 ローマ8:38–39
「死も、命も、天使も、力ある者も、今あるものも、後に来るものも、どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。」
今日もあなたの国と義の中に逃げます。
栄光は主にありますように。アーメン。