偶像を破壊する神

2026.1.16 偶像を破壊する神様
ある子どもは、ゲームや自分のしたいことをいちばん大事にして、知らないうちに、自分を神さまの代わりのようにして生きていました。
でも今、神さまはその子から、そういうものを一つ一つ取り上げておられます。神はその子の偶像を破壊します。
今、起きている苦しみは、神さまと、神さまが立てておられる決まりや法律を軽く見たことに対する、神さまの正しいさばきです。
その苦しみは、その子どもだけでなく、家族にも広がっています。
私たちの目には、とても長くて重い時間に見えます。でも、その長さも、その意味も、すべて神さまが決めておられます。どれくらい続くのかを知っておられるのは、最初から最後まで支配しておられる神さまだけです。
このようなことは、この子どもだけの話ではありません。自分をいちばんえらい存在のようにして生きる人には、だれにでも、いつか必ず神さまのさばきが来ます。
神さまに選ばれている人には、この苦しみは、心を変えられて命へ導かれるための試練になります。
でも、選ばれていない人には、それは、ほろびへ向かうさばきになります。
けれども、だれがどちらなのかを決めるのは神さまだけです。
だから私たちは、この子どもについて、「この子は救われない」とも、「必ず救われる」とも言ってはいけません。
それを決めるのは、人ではなく神さまです。人ががんばったから変わるのではありません。
心が変えられるのは、永遠の結合というところから働かれる神さまの力によります。
この子どもは、礼拝に来ていながら、罪をやめず、うわべだけの信仰の中で生きていました。
今、その罪に対して、神さまの正しいさばきの中に置かれています。
だから、「かわいそうだから仕方ないよね」という考え方は正しくありません。
私たちは、神さまのきびしさと正しさを、真剣に見なければなりません。
神さまがさばかれるのは、正しいからです。
神さまが人の心を砕かれるのも、愛しておられるからです。
ここに、人の気持ちで 判断する場所はありません。
それでも、救うかどうかを決めるのは神さまだけです。人が決めることではありません。
私たちが見るべきなのは、起きている出来事だけではなく、今も神さまが生きて働いておられるという事実です。
私たちは、自分で「よし、羊になろう」と決めて、神さまの民になることができるでしょうか。
そんなことはできません。
人を羊にしてくださるのは、神さまだけです。
それも、永遠の結合という神さまの計画の中で行われます。
だから大切なのは、自分の力をたよることではなく、神さまが心を変えてくださることに、すべてを任せることです。
ここで、「じゃあ、祈っ ても意味がないの?」と言う人がいます。
でも、その考え方こそ、人が中心になっている考え方です。祈りは、神さまを動かすための道具ではありません。祈りは、神さまが心を変えてくださった人から、自然に出てくるものです。
悔い改めを与えるのも神さま。
祈る心を生み出すのも神さま。
心を照らして導くのも神さま。
祈りは、人ががんばってすることではなく、神さまが働いておられるしるしです。
だから、人を中心に考えてはいけません。神さまの働きを、人の力にすり替えてはいけません。
この子どものことを見るとき、私たちの心にも、すぐに「人が中心」の考えが入り込もうとします。それを、はっきりと退けなければなりません。
すべてを支配されている神に感謝するのです。目の前は闇かもしれません。しかし、神が選んだ者たちは目の前を見て絶望せず、神が自分の全存在と結合している事実、いまり、すべてを支配している神がともにいることに驚き、喜び、平安を生きます。
すべての始まりは神さま。さばきも、恵みも、すべて神さまの働き。救いを決めるのも、神さまだけです。