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ヨエル書 3章 福音の二重構造

ヨエル書 3章 福音の二重構造ヨエル書 3章 福音の二重構造
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ヨエル書3章 福音の二重構造

 それでは今日はヨエル書の3章を1節から説明していきます。

「ヨエル3章は、永遠の結合の民を歴史の中で守り、偽りの民を裁きながら、最後に回復へ導く神の手を示した章です。」

 このヨエル書にある 福音の二重構造 を理解するために、まず人間中心主義で読む読み方を皆さんはよく知っていると思います。では、神中心の、本当の聖書の読み方 で読んでいくとどうなるのか。

 それを1節ずつ読んでいきたいと思います。そのとき皆さんは、「こういう風に意味が変わるのだ」ということが分かると思います。

 人間中心主義というアプローチで聖書を読むと、聖書はその本質を隠します。

 神は人間中心主義・神の主権とキリストとの結合に立たない者(偽りの信仰者)には、ご自身を隠されます。しかし、真のイスラエル には神の本質を表される。

 そのことを理解できるように、聖書がどのように読まれるべきか、ヨエル書3章1節から説明していきます。

3:1

「見よ、私がユダとエルサレムを回復させるその日、その時」

主語を主に置くと:「わたしが自分の決めた時に、わたし自身があなたがたを回復する。

回復はあなたがたの行動ではなく、わたしの決定から始まる」

ここでの理解はこうです。

回復はあなたがたの行動ではない。私(神)の決定から始まる。

真のイスラエルへの語りは:「私と結びついている者を、私は必ず回復に引き上げる。」

3:2

「私はすべての国々を集め、彼らをヨシャファテの谷に連れ下り、

わたしの民、わたしのゆずりのイスラエルのためにそこで彼らを裁く。」

主語を主に置くと:「私が国々を集め、私が裁く。」

真のイスラエルへの語:「あなた方への不義は、私が裁く。あなたがたが自分の無罪を証明する必要はない。私が弁護し、私が裁く。」

3:3

「彼らは私の民をくじ引きにし、少年を遊女と取り替え、少女を酒と取り替え、酒を飲んだ。」

主語を主に置くと:

「私はあなた方が受けたすべての苦しみを覚えている。私がすべての裁きの根拠とする。」

真のイスラエルへの語り

「あなた方の涙も苦しみの日々も、私は決して忘れない。私があなた方のために正義を行う。」

3:4

「ツロとシドン、フェリステの全家よ。お前たちは私にとって何なのか。私に復讐しようとするのか。もし私に報復するなら、私はただちにお前たちへの報いをお前たちの頭上に返す。」

主語を主に置き換えると

「私は、私に逆らった者たちに問う。あなたがたの敵は私の敵である。」

真のイスラエルへの語り:

「あなた方を踏みつけた者は、私に敵対した者だ。私が責任を問う。」

※ツロとシドンは偽りの宗教、この世の勢力の象徴。

3:5〜6

「私の金と銀を奪い、私のすばらしい宝をお前たちの神殿に運び、

ユダの人々とエルサレムの人々をギリシア人に売って遠くに追いやった。」

主語を主に置き換えると

「私のものを奪った者、私の民を傷つけた者を私が告発する。」

真のイスラエルへの語り:

「あなた方の痛みは私の痛みとして記録されている。私は一つ残らず返す。」

3:7

「見よ、私はお前たちが彼らを売ったその場所から彼らを呼び戻し、お前たちへの報いをお前たちの頭上に返す。」

主語を主に置き換えると

「私が奪われたものを取り戻し、私が敵に報いる。」

真のイスラエルへの語り:

「あなた方は自分の力で戻るのではない。私が救い出し、私が連れ戻す。」

3:8

主語を主に置き換えると

「私は彼らがしたことを彼ら自身に返し、私の正義を示す。」

真のイスラエルへの語り:

「あなた方の受けた暴虐は、私が必ず裁く。」

3:9–11

「国々の間でこう叫べ。聖戦を布告せよ…」

主語を主に置くと:

「私はあなた方にこのように叫ばせる。私が裁きの総動員を命じる。戦いは私が起こす。」

真のイスラエルへの語り:

「私があなた方のために立ち上がる。あなた方は私の戦いの結果を見る。」

3:12–13

主語を主に置き換えると

「私が王座につく。私が裁く。」

真のイスラエル:

「あなた方の救いの完成、敵の終わりはすべて私の時に起こる。」

3:14–16

主語を主に置き換えると

「私が日を決める。私が近づく。私が太陽も月も暗くし、星の輝きを失わせる。」

真のイスラエル:

「私が世界を揺らしても、あなた方は私の中に守られる。」

3:17

「あなたがたは知るようになる。」

主語を主に置き換えると

「私があなた方の神であり、私があなた方と共に住む。」

真のイスラエル:

「あなた方は私に属し、私の清さによって守られる。」

3:18

主語を主に置き換えると

「私が祝福の源泉である。私が命の泉を開く。」

真のイスラエル:

「生ける命は主の宮からあなた方に流れる。」

3:19–20

主語を主に置き換えると

「私が暴虐を裁き、私が敵を倒す。」

真のイスラエル:

「あなた方の敵は私の前に立つことができない。」

3:21(結び)

「私は彼らの血の復讐をし、罰せずにはおかない。」

主語を主に置き換えると

「私が罪をあがない、私がすべてを処置する。あなた方の贖いはすべて私の御業である。」

真のイスラエル:

「あなた方は完全に贖われる。私があなた方を最後まで抱きかかえ続ける。」

 このように、ヨエル書3章1〜21節を 主語=主/神 で読むと、外面的な読み方とはまったく異なる “真のイスラエルへの語り” が浮かびます。

 これが 福音の二重構造(外的呼びかけ/内的呼びかけ) です。

 これが神中心の読み方です。そしてこれは福音そのものです。

 外側から読めば外的呼びかけ。しかし、内側から照らされた者には内的呼びかけとなり、

結合にある者たちには、神の語りとして読まれます。

 聖書は二重構造であり、真のイスラエルに語る意味と、偽りの民に対する意味が同時に存在します。

 福音を何度語っても分からない人がいるのは、神が照らしていないからであり、神が選んでいないからです。


 しかし、福音の器が家に送られるとき、

 その家に祝福が来ているのも事実です。

 だから、私たちは諦めずに福音を語り続けます。


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