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ヨエル書 1章

ヨエル書 1章ヨエル書 1章
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ヨエル書1章

ヨエル1章は

    •神が裁きを開始し

    •神が国を揺らし

    •神が外側の儀式を閉ざし

    •神が集会を区別し

    •神が照明を与え

    •神が悔い改めを起こし

    •神が叫びを生じさせる

 章である。

聖書の命令形はすべて、

    •再生されていない者には「外側の命令」

    •再生された者には「神が内側で実行させる命令」として働く。

 

選ばれた人々は変えられて行く

 「叫べ」= 神が照明を与え、悔い改めを起こし、叫びを生じさせる

 「断食せよ」= 神が裁きを示し、民を断食という嘆きの状態へ置く

 「きよめよ」= 神が集会を区別し、裁きと照明の場として聖別する

 この三つに共通する真理はただ一つ:

 命令形の背後にあるのは

 “人の意志”ではなく “神の主権的な働き”


 

ヨエルの1章は不従順なイエスラエルに対して神は、人の喜びを打ち砕き、生活の基礎を壊される。これは「悔い改めを引き起こすための環境づくり」ではなく、

 

裁きそのもの。

 

再生されていない者には外側の損失のみが残り、心は動かない。

 

キリストと結ばれている人々、すなわち、選ばれた民には、この荒廃のただ中で照明が刺さり始める。

 

◆1章1節

「主のことばがヨエルに臨んだ。」歴史を動かす主体は人ではない。

民の危機も、預言者の活動も、すべて主の語りから始まる。

ヨエルの悟りでも危機感でもなく、神の主権的語りかけが歴史の起点である。

 

◆1章2節、3節

神はまず 指導者(長老) を呼び出す。「聞け」「耳を貸せ」「伝えよ」とは、

人の経験談の継承ではなく、“主が介入された裁きそのものを歴史に刻め”

という命令。

 

古い契約下のイスラエルの指導者が真理を語らなかった責任を問う。

◆1章4節

ヨエル書最大の焦点。イスラエルの歴史の中の実際の裁き。

単なる自然現象ではなく、神が編成した四段階の裁き軍隊。これは2章の裁きのプロトタイプ。

  1. ガザム(גָּזָם)

表面をかじり取り、外側の繁栄を破壊

  1. アルベー(אַרְבֶּה)

群れを成して徹底的に食い尽くす

  1. ヤレク(יֶלֶק)

根と芽を破壊し、再生可能性を絶つ

  1. ハシル(חָסִיל)

生命力そのものを断ち、未来を奪う


◆四段階の意味

これはカリスマや一般福音派が扱う“霊的戦い”の比喩ではない。

神が歴史を通して契約民を砕く“現実の裁き”である。

◆裁きの二重構造

同じ災害の中に:

  • 結合のある者(真の契約民) → 父の訓練(命へ向かう砕き)

  • 結合のない者(古い契約下のイスラエル) → 滅びの裁き(滅びに向かう砕き)

歴史的災害の中にこの二者が並存する。

◆1章5節

「酔いしれる者よ、泣け」

酔いとはアルコールではない、外側の宗教的成功・繁栄・安心への酔い。

彼らが泣く理由は“気づいて泣く”のではない。神が恵みを断った結果として泣く。

◆1章6節

「一つの民が…攻め上った」

これは比喩ではない。神が“いなご”を軍隊と呼んで派遣したという事実。神はイスラエルを敵扱いし、自らの軍を送る。

◆1章7節

「わたしのぶどう・わたしのいちじく」

真のイスラエル、所有権は神にある。物質的な祝福を奪ったのは敵ではなく 神ご自身。祝福撤回の主体は神。外側の繁栄が壊れても、時の始まる前にキリストにあって選ばれた民にある“永遠のキリストとの結合”は断たれない。断たれていた者は最初から結合していなかった。

◆1章8節

「若い時の夫を失った処女のように泣け」これは 結合の喪失の悲しみではない。

物質的な恵みを失っただけ。真の結合があれる者は喪失の中にも御霊の叫びが生じる(ロマ8:15)。

◆1章9節

「若い時の夫を失った処女のように泣け」これは 結合の喪失の悲しみではない。

物質的な恵みを失っただけ。真の結合があれる者は喪失の中にも御霊の叫びが生じる(ロマ8:15)。

◆1章10節~12節

土地の不毛、喜びの消失は、心理や環境ではなく 神の手。神が光を止めれば喜びは消える。回復の鍵は人の決断ではなく、神が再び光を与えるかどうか。

◆1章13節

祭司が泣くのも、神が奉仕の土台を奪った結果。

 

◆1章14節

「断食を聖別せよ」これは 宗教的熱心を奮い立たせよ ではない。断食状態を造ったのは神である:

  • 食糧を断ち

  • 喜びを断ち

  • 礼拝を断ち

  • 外的繁栄を断ち

  • 心を砕いたのも神

ゆえに、“神が造った砕きの状態を、世俗の悲しみと区別し、聖なる裁きとして受け止めよ”という意味。

◆1章15節

「主の日」=怒りの臨在。神がやって来る“救い”ではなく“裁き”。

◆1章16節~18節

生命が回らないのは自然現象ではない。神が供給を止めたから。

家畜のうめきも、創造主が造られた“裁きの声”。

 

◆1章19節

ヨエルの叫びは決心ではない。

再生 → 照明 → 悔い改め の順序の中で生まれる。砕いたのは神。叫びを起こすのも神。

◆1章20節

野の獣でさえ神の前に嘆く。ロマ8章の“被造物のうめき”と一致。

◆1章まとめ

1章は徹底して 神の裁きと砕きの主権 を宣言する章。

人は受け身であり、叫びも断食も悔い改めも 神が生む結果。

ヨエル1章の核心:

聖なる神は、形骸化した信仰によって生きている者を揺さぶり、

宗教的な形だけの礼拝を閉ざし滅びに向かわせる。

しかし、神は同時に真に選ばれた者たちの心の中心を照らして

悔い改めを生み出される。

これが裁きの始まりであり、それは主の日の到来の序章である。

「誰が悔い改めるか」を決定されるのは主であり、

「どの心に光を刺すか」も主が決められる。

人間中心の祈り・決心ではなく、

神が裁き、神が照らし、神が叫びを生じさせる。





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