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試練の中で現される神の救い

試練の中で現される神の救いArtist Name
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以下のリンクからこのメッセージのブログ記事を読むことができます。
「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。」(Ⅰペテロ5:8–9)
この箇所は、しばしば「悪魔との戦い方」の箇所として語られる。しかし、ペテロの中心はそこにはない。多くの教会では、「悪魔が攻撃する → 人が信仰で対抗する → 勝利する」という読み方をする。しかし、それはこの聖句の意味するところではない。
まず救いの全体構造を見る。神の支配、キリストとの結合、再生、信仰・悔い改め、聖化、栄化。この聖句は、真の信仰者が聖化の中を歩んでいる姿である。未信者ではない。キリストに結ばれた者の歩みを語っている。
ペテロは「ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい」(Ⅰペテロ5:6)と語り、続けて「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」(Ⅰペテロ5:7)と言う。つまり構造は、
「神の力強い御手 → へりくだり → 思い煩いを神にゆだねる」という流れで進んでいる。
中心は、神がすべてを支配しておられることである。悪魔ではない。神がご支配しておられる。その流れの中で、「身を慎み、目を覚ましていなさい」と言われる。では何に対して目を覚ますのか。この「目を覚ます」という言葉は、ペテロだけでなくパウロも用いている。目を覚ますとは、いつも徹夜して祈ることではない。悪霊の動きを探ることでもない。そうではなく、人間中心的なものに誘惑されないように気をつけなさい、ということである。
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