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ヘブル人への手紙第の学び第2回 未完成から完成へ

ヘブル人への手紙第の学び第2回 未完成から完成へ Artist Name
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以下のリンクからこのメッセージのブログ記事を読むことができます。

ヘブル書講話:未完成から完成へ — 試練の中でのキリストの証明

ヘブル書講話:未完成から完成へ — 試練の中でのキリストの証明

 ヘブル書について昨日から語っていますが、この書は「未完成が完成になっていく」という、その完成に向けて信仰者が成長していく姿を強く語っています。

 ヘブル書を読むときには、必ず全体像を意識しながら読まないとわからなくなります。特に、聖書を文脈で読まない癖を持っている人たち、つまり、一つの御言葉や一つのフレーズだけに着目し、それを「くじを引く」ように読む人がいますが、それではどの御言葉もわかりません。結局、それは「自分が感じたこと」になってしまうからです。

 聖書において、自分の感情は関係ありません。聖書は感じるものではなく、理解して信仰に結びつけ、その御言葉によって生きることなのです。だから、あなたがどう感じようが関係ありません。おそらく聖書を読むと、あなたの感じ方とは違っているはずです。御言葉はあなたの思いに対して、必ず反対のことを言います。そして、そこであなたは「服従」を求められる。これが大まかな流れです。


キリストの卓越性と信仰の構造

 これを読み違えると誤読が生じます。ヘブル書はキリストの「卓越性(たくえつせい)」を語ります。そして、その卓越性が、信仰、患難、試練、証明、成熟、成長という構造の中で、信仰者に現れると語っています。

 キリストの知識とは単なる知識ではありません。信仰者が置かれる試練の場所において、神の「証明(照明)」によって与えられるものです。それが、信仰者が未完成であっても完成に向かって進んでいくということです。「試練」と「知識」は一体です。 試練がなければ、キリストの知識の証明はありません。

 テレビを見てゲームをしながら、ポテトチップスを食べて聖書を読んでいる中には証明はありません。それは聖書を漫画や小説と同じように扱っています。聖書の御言葉は、苦しみや試練の中を通らなければ、決して神からの証明としては与えられません。

 聖書はその人生の歩みを「競争(レース)」と言います。ヘブル書は信仰者に対し、キリストについての基礎的な教えに留まらず、さらに深い知識を、試練と苦しみの中で神から受け、理解していくようにと語っています。


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