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キリストの腕の中は安全である

キリストの腕の中は安全であるArtist Name
00:00 / 28:07

私たちは努力しているのか?

-キリストの腕の中に逃げなさい-

 「主の主権に留まるためには、努力しなくてはならない」と言って、わたしたちは努力をしなければならないと感じ、そう思っている。しかし、そのような努力は、本当にわたしたちが努力していると言えるのか。

 その努力とは、いったい何なのか。

 わたしたちが“努力している”と言っているその努力は、努力などと言うことも片腹痛い。

他のあらゆる宗教家や、学問をしている人々と比べても、まったく取るに足らない。それで自分たちは神の主権に留まっていると思うこと自体が、大きな誤りである。なんという自惚れ、なんという傲慢であるか。

 つまり、わたしたちが思っている「主の主権に留まるために努力しなければならない」という考えは、単なる妄想であり、行いも伴っていない。

 

 しかし、それこそが、「わたしたちは行いによっては決して救われない」という、神の啓示なのである。


 そして――すべての自己義認、罪、誘惑の考えや思いが心に浮かぶとき、その思いから撤退せよ。その思いは、心の底にまだ残っているかもしれない。

 しかし、わたしたちはすでに神の支配の中に置かれ、永遠に守られていることを思い出すのだ。キリストがわたしたちのうちにおられ、永遠に離れることがないことを思い出すのだ。


 それは、わたしたち自身の行いや努力ではない。それは、神の救いが贈り物(ギフト)であり、わたしたちは自分の救いに何ひとつ貢献できないという、信仰によって恵みによる救いという、一貫した聖書の教えなのである。

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