アダムにある分離とキリストにおける結合 なぜ神は堕落を止めなかったのか

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今日も、アダムにおける**「分離」と、キリストにおける「結合」**について少し深く話をします。おそらく皆さんは、アダムの堕落について「なぜアダムは堕落したのか」「なぜそれが全人類に広がったのか」ということについて、これまで十分には理解できていなかったのではないかと思います。今日はその部分に焦点を当ててお話しします。
1. 罪の定義:行為ではなく「状態(分離)」
多くのクリスチャンは「罪を犯したから罪人になった」と考えています。それは「原罪」という言葉の響きが、アダムが遠い昔に犯した「原始的な古い罪」というイメージを与えているからかもしれません。しかし、改革派神学における原罪の定義は全く違います。
聖書における罪の定義とは、アダムの罪によって全人類が神から切り離された**「分離の状態」**そのものを指します。
• 分離(死): アダムが罪を犯し、神との関係において死んだ状態。
• 全人類への波及: 人は生まれながらに神から切り離されており、神を信じない、信頼しない、求めないという性質を持っています。
つまり、「罪を犯すから罪人」なのではなく、**「神から分離された罪人として生まれてくるから、罪を犯す」**のです。これが聖書の教える順序です。
2. なぜ神はアダムを止めなかったのか
ここで大きな疑問が浮かびます。「なぜ神はアダムが罪を犯すのを止めなかったのか?」「神は無力だったのか?」
答えは否です。神はすべてを決定される主権者です。アダムの堕落は、神の統治の外で起きたことではありません。
神が望まれれば、 禁令を与えないことも、知恵の木を置かないことも、サタンの侵入を拒むことも、あるいは物理的にアダムを止めることもできました。しかし、神はそうされませんでした。神は罪の作者ではありませんが、神の主権的御計画の中で、堕落が起こることを「許容(許可)」されたのです。